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Stories

Vol.37 高1 Mさん

-インタビューを通して和洋生の成長をお伝えするStories。今回は37回目。高1のMさんからお話をうかがっていきたいと思います。よろしくお願いします。

よろしくお願いします。

-では、インタビューに入っていきましょう。Mさんが幼い頃から変わらず好きなものってありますか?

私は和風なものがずっと好きです。小学校の頃は忍者とか刀とか着物とか…。着たり見に行ったり色々していました。

-きっかけはあったんですか?

う~ん…。自然に好きになっていったと思います。

-好きになったのはいつ頃からですか?

幼稚園か小学校低学年の頃にはもう好きだったと思います。家族旅行に行った時に忍者村に行ってくノ一の格好をして兄と一緒に写真を撮ったり、どこの城かは忘れてしまいましたけど城の前ではかまを着たくてだだをこねて着させてもらったりしていました。

-子どもの時から好きだったのがわかりますね。
-着物を着ることもあったのでしょうか。七五三の時に着るイメージしか浮かばないのですが…。

父も歴史っぽいものが好きということがあって城廻りをすることも多かったんですけど、写真を撮る時に着ることもありました。

-城はどんなところを見るのが好きなんですか?

何も考えずにその土地の歴史についての説明を読んだり、展示や城の中を見たりするのが好きです。

-インパクトが一番あったのはどの城ですか?

一番印象に残っているのは大阪城です。辺り一面が見渡せてすごいな、と思った記憶があります。

-そうなんですね。城のどんなところが好きなんですか?

敵が攻め込んできた時に攻撃する小さい窓だったり、城の中のしかけだったり…。あと、城の中の階段の高さや角度をチェックしています。

-確かに城の中の階段は急ですし、今の家より一段一段が高いですよね。
-他に小さい頃のエピソードはありますか?

小学校に「おはやし部」というのがあって、全員が入るものではなかったんですけど私は小4の後半から入っていて、地元の方が来てくださって教えてくれました。地元では4年に1回行われる大きなお祭りがあって、いくつかの神社合同で行うんですけど、そのうちの一つの神社で演奏するチャンスがあって、私は和太鼓と篠笛を担当しました。

-「しのぶえ」というのはどんな笛なんですか?

形は横笛です。練習をしはじめた頃は汽笛みたいな低い音になってしまうんですけど、本当は高い音が出るのが正しくて、その音を出せるようになるのは難しかったです。難しい分、笛を希望する人が少なくて、お祭りの時、和太鼓組は人数が多くて入れ替わりだったんですけど笛は代わりがいなくて、4回立て続けに吹き続けて最後はのどがかれた感じになってしまいました。

-そうなんですか。大変でしたね。練習もかなり積んだんですか?

練習の回数は月に一回程度だったのであまり多くはなかったです。でも、練習自体はわちゃわちゃした感じで進んでいたので楽しかったです。

-楽しく練習できたんですね。

曲には1番、2番があって、1番は高い音がなくて比較的簡単に吹けるんです。でも2番は難しくて、1番が吹けるようになってOKが出たら2番も演奏で吹いてよいという順番になっていました。私は笛を吹くのが好きで、休みの日も家の庭で練習をしていました。その成果が出たのか先輩達より早く2番を演奏できるようになりました。

-家でも練習していたんですね。なぜのめり込めたのでしょう?

理由はわかりませんけど、今でも練習を重ねないとうまくいかないものは、休みの日に家で練習します。今やるのはほとんどがダンスの練習です。中1の頃は恥ずかしさもあって体育祭のダンスは動きが小さかったですが、中2で急に大きく踊れるようになって中3ではテンション高く踊れるようになりました。

-その変化はどのように生まれたのだと思いますか?

慣れが大きいかなと思います。踊る機会が増えて振りも覚えられるようになって…。中3からはダンスの授業も入ってきて先生に質問にも行くようになって変化していきました。

-なるほど…。

他の教科でも同じだったかなと思います。例えば数学でも、中1の頃はわからないことがあっても友だちに聞くくらいで先生に質問をすることはできませんでした。でもずっと同じ先生が担当してくれたのもあって慣れていきました。はじめのころは「わからない」ことが恥ずかしいから聞きに行けないという状態だったんですけど、学年が上がって中2の後半くらいからは「わからない」ことは恥ずかしいことじゃないと思えるようになって、慣れもあって質問しに行けるようになりました。質問すると理解度も上がって点数も伸びていきました。

-キーとなったものは何ですか?

恥ずかしさが吹っ切れたことなのかなと思います。
私は人見知りで、知らない人がいる空間が苦手です。小学校でもはじめの頃は友だちができなくて、母同士が仲のよい子と遊んでいました。今考えると、小3の頃までは学級委員的な悪いことをしている子がいたら先生に言いつける!みたいな正義感溢れる感じの子でした(笑)。でも、小4くらいから友だちとわちゃわちゃするのが好きになって、苦手な人との距離感も覚えて、平和主義的な考えになりました。

-変化のきっかけはあったんですか?

私は小3の時に母を病気で亡くしていて、周りからも顔つきが変わったと言われるくらい変化したと思います。

-そうだったんですか。大変でしたね…。
-人見知りで新しい関係に飛び込むのは不安があったと思いますが、そのような中で地元を離れて中学受験をしようと考えたのはどのような経緯だったんですか?

父も兄も中学受験をしていたので、私もするんだなと思っていました。受験用の塾にも通っていましたけど算数がとても苦手で、理科の計算も嫌だなと思いながら解いていました。

-受験校を選ぶ中で和洋九段が選択肢に入ってきたのはなぜでしょう?

私は乗り物に酔いやすくて、1時間も電車に乗れないので、近い学校から探し始めました。小学校の頃はテニスを習っていて、硬式テニス部がある学校というのもポイントでした。入学後はテニス部に入ったものの体調を崩しやすかったため暑いところに居続けると体調が悪くなってしまうので残念ながら続けることはできませんでした。

-やはり外での活動は暑い日がありますからね。今は何か別の部に入っているんですか?

はい、コロナ禍で少し遅れましたけど、中3から歴史部に入っています。テニス部を辞めてからどこかのクラブには入ろうと考えていたんですけど、運動はちょっと難しいな、文化部の中で何がいいかな、と一覧を見ていた時に歴史が一番好きで入りたいなと思いました。

-活動してみてどうですか?

歴史をアピールするのは難しいなと感じています。「過去のこと調べても意味なくない?」と思われそうで、最近は「○○について調べる!」こと以上に「歴史を好きでない人も見てくれるようにするにはどうしたらいいか?」ということも考えています。

-どのような工夫を思いつきましたか?

新入生歓迎会では、真面目に説明してもいい印象にはならないだろうと考えて歴史上の人物がアニメやゲームでどのように描かれているか、どのような違いがあるかについて有名武将を中心に解説していきました。
武将は肖像画で見るとちょんまげで髪がない部分もありますけど、ゲームの世界では今時の男の子として描かれています。とても美化されていて「全然違うじゃん!」というところをオチにして説明したところ笑いも起こってよかったです。

-入学後の話になっているのでそのまま続けていきましょう。
-中学時代の思い出は何がありますか?

途中からコロナの影響が出てきたので、中1の頃、休みの日に少人数で後楽園やディズニーに行ったのが思い出です。

-確かに一時期は友人と遊びに行くことも難しかったですよね。
-先程、人見知りだという話も出ていましたが、中学ではどうだったんですか?

はじめはやはり気まずかったんですけど、色々な場面でそれぞれの人がどんな人なのかを知ることができて、自分の個性も外に出せるようになって、本音が話せる友だちもできて、周りの子の中にも自分と気が合う子がいて過ごしやすくなりました。

-自分を出せるようになってよかったですね。
-高校に入って2か月ほど経ちましたが、高校生活はどうですか?

中学の時は勉強にも少し余裕があって今考えるとそこまでやっていなかったと思うんですけど、毎日授業内でテストがあったり宿題があったりして忙しさが増しました。帰ってからも毎日勉強しています。

-高校生として新たな気持ちで生活が送れているんですね。
-5月には研修旅行もありましたけどいかがでしたか?

私たちがお世話になったご家庭は古民家カフェを経営されていて、農業体験ではないことを経験させてもらいました。ちょうど滞在していた野草研究家の方と一緒に山に出かけていって、「植物が一体どういうものなのか」ということを教えてもらいました。

-具体的にはどんなことを聞いたんですか?

植物が水分を出したり花びらを落としたりするのは植物が自身のために行っているということを実際に見せていただきながら体験できました。私たちが見ても一見して雑草にしか見えない草の一つ一つの名前を教えてくださって、とても貴重でした。
別の話で言うと、すごくたくさん虫がいて、それに反応していると「虫は気にするから嫌だと思うんだよ。気にしなければ嫌だと思う気持ちも起こらないよ」と言われて「そうだな~」と思いました。とはいえ、まだ得体の知れない虫に遭遇すると「よくわからないから怖い」という気持ちになります(笑)。

-そうですね…、よくわからない虫だと身の毛がよだつかも知れません。私はボルネオ島に行って虫だらけの地域に行った時には「私たちが虫たちの生活しているところにお邪魔しているのだから、謙虚にしなければ…」と思うようにしていました。

あと印象に残ったのは、「人が足を踏み入れる場所に生えているのは全て外来種で、山の上の方まで行かないと在来種はいない」という言葉でした。私が自己紹介で「日本史が好きです」という話をした時に外国と貿易をする中で鎖国中に荷物にくっついて入ってきた種もたくさんあるという話を聞いて、植物は理科の話で、歴史とは全く違うことと思っていましたけど、意外なところで繋がっていることに気づけました。

-なるほど、確かに色々な教科の中に歴史はありますね。好きなものはそれぞれ違いますけど、そのそれぞれに歴史が存在するというところは共通していますね。
-他に印象に残っていることはありますか?

事前学習で成城大学の境先生がお話しくださった中で、「意外な組み合わせでアイデアを出せるといい」ということを話されていて、「地方創生」というと皆同じようなものになりがちかな、と思いながらプランを考えてみました。
誰でも「推し」のためにはイベントに行ったりグッズを買ったりすると思うので、俳優、声優、アイドルを芋井地区から出すことで土地のことを知ってもらう、というのはどうかな、と考えました。推しが生まれた場所に訪問したい、移住したいという人も出てくるかもしれませんし…。でも急にそこから有名人を出すことは難しいので、次に考えたのは、小学生に人気のYOUTUBERに依頼して楽しく農業体験しているのを配信してもらうというプランです。興味を持った子どもが親に話して一緒に訪れれば最低2人はその土地を訪れることになるので、そこでの交通費や宿泊費をはじめとしたお金が地域に還元されます。それを貯めていってイベント会場を作って、更に人を呼んで…、というのを考えてみました。子どもがはっちゃけることができる場所を作るのもいいかな、と考えています。

-新しくできた「山の駅」にはそういう施設ができているみたいですよね。そこにファミリーが訪れて、地域の旬な野菜を買ってくれて、というのも一つの魅力になりそうですね。
-今後、こういうことにチャレンジしていきたいな、というものはありますか?

校外ではまだまだ人見知りな性格が出てしまって外での活動ができていないので、自分の好きな日本史に関係するボランティアをやってみたいなと考えています。

-そういうのもあるんですね。「好き」と「貢献」が繋がるといいですね。

-では最後に、受験生に向けてと後輩に向けてメッセージをお願いします。

受験生に向けては、「焦りを感じてほしくない」ということです。自分のペースを保って無理せずやってほしいです。
後輩には「先輩は怖くないからもっとフレンドリーに話しかけて!」と伝えたいです。クラブでは色々な話をしてくれるんですけど、委員会だと気を遣ってしまうと思うので…。私は後輩のみなさんとコミュニケーションを取りたいと思っているので遠慮しないで話しかけてほしいです。

-後輩との関係の中では「人見知り」は解消されていそうですね!Mさんが色々なことを吸収して成長し続けているのがよくわかりました。ありがとうございました!

【X先生からMさんについてのコメント】
困っている人、助けが必要な場面にそっと寄り添える、心根の優しい生徒です。中学ビブリオバトルに出場した時には「歴史について熱く語り、チャンプ本(最優秀賞)に選ばれました。文化祭実行委員としても積極的に活動しており、文化祭を盛り上げるために頑張っています。

Vol.38 中3 Mさん
Vol.36 高2 Hさん