Stories
-生徒の皆さんのインタビューを通して、和洋生一人一人の成長ストーリーをお伝えするStoriesの第33回は、本日の卒業式で和洋から旅立つ高3(卒業生)のKさんです。6年間の思いを語ってもらいたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
-まずは卒業おめでとうございます。
ありがとうございます!
-では早速お話をうかがっていきたいと思います。
-Kさんは小さい頃どんな子でしたか?
今とあまり変わらないと思います。騒がしくてやんちゃでした(笑)
-何かエピソードはありますか?
ホームページに載せられないものばかりなので、ここではちょっと…(笑)。
(少し話してもらいましたが、確かにやんちゃすぎてHPには載せられない話でした(笑)。)
-では、和洋に入学するまでにどのような生活を送っていたかを教えていただけますか?
はい。私は家族と一緒に小1までフィリピンに住んでいました。その時に通っていた学校が今考えると和洋となんとなく繋がっているように感じています。マニラにある現地校に通っていたんですけどそこは女子校で、制服がジャンパースカート【現高3まではジャンパースカートの制服です】、名前がオーストラリアにある和洋九段の姉妹校と同じ「セントスカラスティカス」でした。母からは「和洋を選んだのは前の学校のことを懐かしく思っているからなんじゃない?」と言われたこともあります。
-結構似ていますね。当時は日本語を話していたんですか?
いえ、全く使っていませんでした。日本語を学び始めたのは小学2年からです。今でも家では、父とは英語で、母や姉とはタガログ語で話しています。
-そうなんですね。お母様はフィリピン出身ということで今でもタガログ語で話すというのはわかるんですけど、お父様とは日本語で話さないんですね。
日本語を学んでいってだんだん話せるようになってはいきましたが、「ここからは日本語で話そう」という移行するタイミングがなかったというか…。あ、でも、進路について相談する時はやはり日本語でないとわかりづらいことがあったので日本語で話していました。
-すでにトリリンガルなんですね!小学校では日本語を学ぶのが大変ではなかったですか?
私の通っていた小学校では外国出身の子が多く通っていたので、日本語教室というのがありました。私が通ったのは1年間だけでしたけど、そこでは日本語をゼロから教えてもらって「ひらがな」から学んでいきました。
-上達が早かったんですね。苦労はありませんでしたか?
はじめの頃は日本語がたどたどしかったので、クラスの男の子から「何か言ってるよ」とからかわれたこともありました。でも私もその時は「何か言ってるよ」思っていて、言い返せるようになってからは立場が逆転しました(笑)。
-Kさんのパワフルな感じがあれば、圧倒できそうですよね。現在は日本語も含めて3カ国語をしゃべれるということですが、4カ国目は考えているんですか?
そうですね。大学ではスペイン語を習おうかと考えています。タガログ語はスペイン語に似ているところがあって、全てではありませんが、ところどころ言っていることがわかることがあるので…。できればもう一カ国、例えばフランス語とか韓国語とかもしゃべれるようになって5カ国語をしゃべれるようになりたいな、と思っています。
-志が高いですね。世界を渡り歩いて行けそうな感じですね。頑張ってください。
-では次に、中学入試のことを聞いていきたいと思います。どのような流れで中学受験をすることになったんですか?
周りの友だちが習いごとを始めていて、自分も習いごとをしたいな、という流れで小5の終わり頃から塾に通い始めました。その時は中学受験をするとは思っていなくて、習い事としての塾でした。でも塾の先生が中学受験のことを話していて、父との話題の中にも出てくるようになって、流れで受験することになりました。
-なるほど、そのような中で和洋九段が選択肢に入ったのはどういう流れだったんですか?
中学受験の分厚い本を読んでいる時、きれいな講堂に興味を持ちました。本を読むことはあまりないのに、「何万冊の本がある」というのもすごいなと思って、見学に来たら校舎がすごくきれいで、文化祭に訪れた時も先輩達が声をかけてくださってとても優しかったんです。クラブ体験会にも参加してバレーとバスケを体験しましたが、両方とも決して上手ではなかったのにバスケの先輩は笑顔で優しく教えてくれて、バレーの先輩はめちゃめちゃほめてくれて…。本当に楽しかったです。
そういうことを経験しながら、直感的に「ここがいいな」と思いました。
-実際に6年間通って、Kさんはとても楽しそうに過ごしていますから、その直感は正しかったですね。
はい、正しかったと思います。とても充実していました。
-では、その充実した6年間を振り返っていきたいと思います。中学時代を振り返って、心に残っているのはどんなことですか?
中3で行った京都・奈良の修学旅行が思い出に残っています。皆で宿泊するということですごくテンションが上がりましたし、近所迷惑なんじゃないか、というくらいにはしゃいで、就寝時間後も私が騒ぎすぎて、先生達から叱られました…。
-後輩の見本とはなっていませんが(笑)、旅の1ページとして忘れられない思い出になりましたね。
タクシー研修でも運転手さんがとてもフレンドリーで、仲良くなりました。今も元気で過ごしているのかな…。
-タクシー研修の時に一番心に残っていることはありますか?
清水寺で胎内めぐりというのをしたのを覚えています。すごく暗い中、数珠を頼りにして進んでいくんですけど、それもすごく楽しかったです。
-そうなんですね。善光寺みたいな感じでしょうか。
-中学時代、勉強の方はどうだったんですか?
私は中1、中2くらいの時は学年でも真ん中くらいの成績でした。テストで30、40点台だったこともありますし、決して勉強ができた方ではなかったです。
-頑張るきっかけとなったのは何だったんですか?
私は中学でバレー部に入ったんですけど、中2の終わりに足をケガしたことがきっかけになりました。長い間全然動けなくてとても残念な日々を過ごしました。正直それまでは部活に行きたくないな、と思ってたまにサボってしまうこともありました。でもケガが治ってからは色々嫌なことがあっても「足をケガするよりはまし」と思って乗り越えられるようになりました。勉強するのも大変だけど、足をケガするよりはましだと思えるようになって頑張り始めました。
-文字通り、ケガの功名ということだったんですね。
-では少し部活のことを聞いていきたいと思います。バレー部に入ったのはクラブ体験会の影響もあったのでしょうか。
はい。クラブに入る時、スポーツ系に入りたいなと思っていました。小学校の時は他の人と比べて背が高い方だったので、それがいかせるのはバレーやバスケかな、と思って入学した後も二つのクラブ体験をしました。体験の時にバレーの方が楽しかったので入部することにしました。
-入学してみていかがでしたか?
最初の頃は体力もなくて追いついていくのが結構大変でした。当時は今より上下関係があってはじめはびっくりしました。でも今となっては大事だったのかなと思います。年上の方と話す時に「丁寧だね」と言ってくださったり、あいさつも自然にできるようになって、あいさつしていない人が「変だ」と感じるようになりました。LINEなどでも敬語をすらすら使えるようになったのは部活の影響かなと思います。
-なるほど。バレー部の活動はどうでしたか?
高2ではオンラインの活動が多かったんですけど、家でできることは限られていて、座った状態でオーバーパスをしたりアンダーパスをしたり、筋トレをしたりと楽しめませんでした。元々チームプレーの競技なのに1人だと余計につまらなく感じて、早く学校で活動したいな、といつも考えていました。学校に来られた時は休み時間に制服のまま他の部員と対人パスをして、それで気を晴らしていました。
-そういう時間がとても大切だったんですね。Kさんのバレー愛は有名でしたよね。
私は全日本の監督だった中田久美さんの大ファンです。全日本の試合もネーションズリーグやワールドカップを会場に見に行って試合を見て大きな刺激になりました。
-実際に見に行くのとテレビで見るのとは違いますか?
そうですね。結構いい席を取っていたので、ボールが床に打ち付けられる音や選手同士の声かけ、ストレッチの仕方やベンチの様子など、テレビではわからないことをたくさん知れました。
-なるほど、確かにテレビではわからないことが多いですね。勉強になります!
-同学年との関係はどうですか?
めちゃめちゃ仲がいいというわけでないですけど、6年間苦楽を共にしてきた、和洋の中で一番長く一緒にいたメンバーだと思います。普段の活動だけでなく、長期休みの練習や合宿でもずっと一緒でした。部活をやっていく中で怒りも悔しさも悲しさも楽しさも、全ての感情を共有してきましたから、言葉には表せない関係だと思います。特別仲がよいわけでも、悪いわけでもないし、普通なわけでもないし…。ほぼ家族みたいな関係です。一緒にいすぎて当たり前みたいな関係ですね。
-確かに…。特別な関係ですね。
-では次に、高校に入ってからのことを聞いていきたいと思います。どのようなことが思い出になっていますか?
高校生になって「華のJK」を満喫できたのは高1の1年間だけでした。学校での日常の中で、廊下で騒いだり、お昼休みにグループにして食事したり、毎日宴会のようでした。
-そのような毎日の生活が遠い昔のようですね。
-オンラインの時はどのように過ごしていましたか?
はじめ休みになった時はだらだら過ごしてしまって、友だちと遊びにも行っていたし今考えると緊張感がなかったです。ただ、休校が延びて、家から出られない日々が続いていくうちに不安になっていきました。「運動しないと」と思ってYouTubeで「自宅でできる有酸素運動」というのを探して体を動かして、お菓子も食べずに過ごしたので、当時は今までで一番健康的な生活を送っていたと思います。
授業の合間の休み時間も友だちと話すことがないので、その頃は時間がすごくあった気がします。
-何か思い出はありますか?
オンラインお泊まり会というのをやりました。皆でZoomで繋がって夜から朝までずっとおしゃべりをしていました。朝になったらそれぞれ家の近くをランニング(お散歩)して、それも電話で繋がって、1時間くらい外にいました。それが、その時できる精一杯の思い出作りでした。
-なんだかそんな話を聞くと切なくなりますね。
でも楽しかったですよ(笑)。
-ネットを通じては他にも何か行いましたか?
オンライン文化交流会というものをしました。実は休校中に「アメリカの現地高校生とネット上でおしゃべりをしよう」というイベントがあって参加したんですけど、お互いに気まずくて話も広がらず、消化不良で終わってしまったんです。それぞれが初対面だったため、うまくいかなかったのだと思います。
そのことを中学の時和洋にいて、今はオーストラリアにいるSさんという友人に話したところ、「2人で企画して文化交流会をしない?」という話になりました。彼女はオーストラリアの友だちを誘って、私は日本とフィリピンの友だちを誘って、3カ国で繋がって交流会を開きました。Sさんとは電話でやり取りをしながら会の流れを考えたりスライドを作ったり自己紹介の内容を考えたり、本番の司会進行を考えたりしました。当日は15名くらいが参加してくれて、前に参加したイベントとは違って、全員が誰かしらと関係ができている中で参加できたのでリラックスして臨めましたし、友だち作りもできました。
-Kさんは総合型選抜で早稲田大学の国際教養学部に合格されましたけど、志望理由にはこれも書いたんですか?
はい、書きました。特に、新しい気づきとなったのは、お互い自己紹介をする際に自分が自認している性を表明するのが普通だったことです。自己紹介の時に「My pronouns」という言葉が出てきて、自分のことを代名詞ではこう呼んでね、という意思表明なんですけど、そういう表現の仕方があるということは知識として知っていましたが、実際に目にしてそういうことが当たり前なんだな、ということがわかりました。
今、インスタグラムなんかでも自己紹介の欄にそういうのを入れることができるようになっていて、私も自己紹介の欄に「She Her」と書いています。これは「私のことを代名詞で呼ぶ時は「She Her」で呼んでほしい、という意味を表すんです。
性自認と性が一致していることが当たり前ではないという前提に立っていて、自己紹介の中で皆がそれを言うことで表明しやすいという雰囲気が生まれるんだと思います。
-なるほど、日本ではまだまだ浸透していない部分ですね。
-大学ではどのようなことを学びたいんですか?
現段階では専門を一つに決められていなくて、私は色々と選んで学べる学部にしました。ただ、「国際関係」「芸術」「コミュニケーション」など7つのクラスターが決まっていて、それをいくつか選んで、各クラスターの中でたくさんの授業を選べるようになっていて、選択肢が多すぎて大変です。
-自分の学びたいものを選べるのはよいですね。新入生とはすでに交流があるんですか?
はい。オンラインでオフィシャルのグループがあるので、先輩の含めて交流があります。同級生とは対面でも交流していて、帰国子女とか海外滞在歴が豊富な人とかが普通にいます。そういう経験がない人は「純ジャパ」と呼ばれてむしろ少ない方です。
-色々な価値観を持った人がいるのでしょうね。会話は日本語なんですか?
日本語と英語が混じっている感じです。日本語ではすぐに出てこない言葉を英語で表したり、その逆だったり…。
-なるほど、どんな会話なのか想像できませんね…。
-自主活動では和洋で初めて英語での論文執筆も行いましたよね。特別賞受賞おめでとうございます。
ありがとうございます。私は「Living in a Multicultural Society」という論文を書きました。グローバル化が進む世界の中でどのようにして多文化共生をおこなっていけばよいのかについて考えました。
-執筆は大変ではなかったですか?
やはり文法的なことや言い回しで苦労しましたが、ネイティブの先生に添削してもらいながら進めて完成させることができました。
-なるほど、多くの方々のサポートもあったんですね。私も読ませていただきましたが、すばらしい論文でした。
-話は変わりますが、早稲田大学を志望するに至ったのはなぜでしょう?
元々私は別の大学を志望していました。担任の先生から別の選択肢も考えてみたら?と声かけをしてもらって、色々と調べていく中で早稲田が一番楽しそうだな、と感じたのがきっかけです。国際教養学部に学年主任の先生の知り合いがいるということで説明会に行った時にお話を聞いて具体的にイメージがわいてきて、頑張ろうという気持ちになり、そこから本格的に早稲田を志望するようになりました。今早稲田に通っている先輩とSNSで繋がっていて、そこで得た情報でも学生生活が楽しそうでしたし、ここでも直感で「ここに行きたい」と思いました。
-ここでも直感が働いたんですね。いい繋がりがあったのもご縁ですね。早稲田に通うことでKさんの力が更に引き出されそうですね。
頑張ります!(笑)
-Kさんは大学生活でどんなことをしたいですか?
私は何かに縛られるのが嫌いなので、自分の好きなことを自由にできるといいな、と思います。他の人は「大学でやりたいこと」を志望理由書に書いている人が多いと思うんですけど、私はそういうのがないので、大学で学びながら卒業後の進路も考えていきたいです。これも直感で行きます。
-これから、どんな人生を送りたいですか?
何にも縛られずに自由に生きていきたいです。他の人の「当たり前」にも縛られず、自分自身の固定観念からも自由になって、人に迷惑をかけずに自由に生きられたらいいかな、と思います。好きなものを食べて、好きなことをして…。
-最高の生き方ですね。そしてKさんならできるでしょうね。
自分でもできると思っています(笑)。
-和洋の6年間を振り返っていかがでしたか?
ひと言で表すなら、「最高」でした。先生にも友だちにも恵まれて、めちゃめちゃ楽しかったです。友だちとは深い話も浅い話もできて、騒ぎあえる最高の仲間でした。私は先生にもたわいない話をしにいくことが多かったんですけど、誰でも私のことをかまってくれたし、私がたまにテンションが落ちた時にもそばにいてくれる先生がいました。和洋で過ごせてよかったです。
-そんなふうに言ってもらえて嬉しいです。
-では最後に、受験生も含めた後輩たちに向けてメッセージをお願いします。
自分の好きなように生きていくのがいいと思います。頑張ってほしいけど頑張りすぎず、休みたい時は休んで、人生何とかなるから深く考えすぎずに過ごしてほしいです。
-色々な経験を積んできたKさんからの言葉だからこそ、重みを感じますね。そういう軽やかな考え方が豊かなものを生み出すよ、というメッセージに聞こえます。
-6年間にわたる和洋での生活をとおして、Kさんが「和洋生」としてのびのびと過ごし、すくすくと成長したのが伝わってきました。輝かしい未来となることを願っています。ありがとうございました!
【X先生からのKさんについてのコメント】
Kさんは誰にでも公平に接することができ、物事を多角的に考えられるため、人望が厚く、誰からも信頼される存在です。一方、いつも明るい冗談を飛ばして、周囲を楽しい雰囲気で包んでくれます。知的好奇心が旺盛で、学習面でも常に目標を高く掲げて意欲的に取り組み、他の模範になっていました。
持ち前の語学力を活かし、創造的な企画力で時代を切りひらいていくニューリーダーになれる存在ですので、ぜひ卒業後も輝いてほしいです。