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Stories

Vol.72 高2 Sさん

-インタビューを通して生徒の成長をお伝えするStories。今回は72回目です。高2のSさんからお話を伺っていきたいと思います。よろしくお願いします。

よろしくお願いします。

-では早速インタビューに入っていきましょう。Sさんは小さい頃どんな子でしたか?

自分がプリンセスだと思って過ごしていたと思います(笑)。
一人っ子ということもあって、やりたいことを自由にさせてもらっていました。小学校の時はバレエや英語を習わせてもらったり、とにかく人と違うことに挑戦したくなるタイプの子供だったので、休みの期間にはスノーボード、スケートボード、あとキックボードなんかにもチャレンジしていました。
英語の力がついたかはわかりませんけど、家族で海外旅行に行った時にはお店の人に英語で話しかけて注文したりもしました。そういう体験を通して、英語を話す楽しさが身についていたかなと思います。

-活発で新しいことにどんどんチャレンジするタイプだったのですね。
-中学受験を行うことにしたのはどういう経緯があったのですか?

小学校の子と馴染んでいる感じがしなくて、このまま中学まで行くのはどうなのかなと思っていました。周りに受験する子も結構いたので、私も挑戦して新しい環境で新しい友だちと過ごしたいなと気持ちが強くなって、受験することになりました。

-そうだったんですね。和洋九段を受験することになったのはどうしてですか?

家族ぐるみで付き合いのあるご家庭で、私も仲の良い先輩が和洋九段に通っていて、その流れで受験しました。

-そうなんですね。
-Sさんが中学に入学する頃はちょうどコロナ禍が始まった時期ですよね。どんな事を覚えていますか?

ずっと学校に行けなくて、クラスメイトと初めて会うのがリアルじゃなくてZoomごしだったんですね。現実感がなくて画面をスクロールしながらクラスメイトを観察していました(笑)。

-苦労も多かったでしょうね。

Zoomで一緒に授業を受けるだけの関係で連絡先も知らないので、友だちを作るのに時間がかかりました。でも担任の先生が工夫してくれて、二人組みになってブレイクアウトルームで話すチャンスを作ってくれて、だんだんと友だちが増えていきました。
6月になって入学セレモニーが行われた時に初めてリアルで会ったんですけど「わぁ、本物だー」という感じでした。それまではクラスごとにZoomの授業を受けていたので、自分のクラスしかわからなくて、他のクラスの子とは初対面だったので、「こんなにたくさん同学年の人がいるんだ」とその時初めて気づきました。

-ブレイクアウトルームに分かれてお話しした時はスムーズに話せたんですか?

最初に一緒になった子とすごく話が盛り上がって、今でも仲良しです。Zoomでの関係作りというのがなかったら、二人きりで話すという機会もあまりないと思うんですよね。だから、強制的に二人きりになるという環境があったのは意外と良いことだったんじゃないかなと思います。

-その後は登校したりZoomで授業を受けたりという日々が続きましたけど、そこはどんな生活でしたか?

会えない期間にZoom授業があった時は、昼休みにみんなでテレビ電話を繋いで話をしたり、放課後に遊びに行くことができなかったので電話をしたり、朝も起きられないから互いに電話を掛け合ったりと友だち同士でやり取りしていました。

-協力しあっていたんですね。他にはありますか?

学校に来ることの方が非日常だったので、中2くらいまでは制服に着られているというか制服を着こなせていなかったと思います。家からの授業は私服で受けていたので「制服ってこんなに重かったっけ?これで勉強できるのか?」という感覚がありました。逆に学校に来られる嬉しさも感じられましたし、貴重でした。

-世の中的にはあの頃、この厳しい状況がいつまで続くんだろうという不安がありましたけど、そんな生活も楽しく乗り越えていたのですね。

そうですね。始業式や終業式も講堂に集まれなかったのでクラスのホワイトボードに映し出された校長先生の話を聞くというのが長く続きましたけど、「この人は実在するのか?」という不思議な感覚があって、実際に校長先生に会った時には結構感動しましたね。

-皆さんの生活が日常に戻ってきたのは中3くらいからでしたでしょうか。

体育祭でダンス以外の競技も行えるようになったのが中3でした。中1は学校の体育館でダンスを踊っただけ、中2は体育祭は行ったけどダンスだけ、という制約があったので、中3の体育祭で競技もダンスも行った時には、体育祭ってこんなに楽しいんだというワクワクした気持ちがある一方で、これまでできなかったことのショックも感じました。

-そうでしょうね。制約のある中での行事が続きましたからね。
-他には何かありますか?

留学のことを考え始めたのも中学3年生の時でした。
中3は高校でどのコースに行くか決める時期になっていて、これから先どのように過ごしていくかを考えていった時、この学校にいつづけるのであれば何をしたらいいんだろうと考えました。
私たちはコロナの影響でシンガポールの修学旅行に行けなかったんですけど、私自身海外に行きたいという思いが強かったし、この学校に入りたい理由の一つは中3でシンガポールの修学旅行があるということだったので、行けなくなったのであれば逆に自分から海外に飛び込む選択をしようと考えました。

-学校としては中学の時に海外を早くから経験してもらって、そこで興味が広がった人には高校で留学をしてもらいたいという思いで中3の海外修学旅行をプログラムしていたのですが、それとは逆ですね。行けなかったことから留学を決意したんですね。

中3の時には、新たな環境で新しい関係を作って学ぶのも良いかなと思って、和洋の高校に上がるかどうか迷った時期もありました。でも中学受験をして入学したわけだし、このまま高校に行った方が大学にも繋がっているし良いのではないかと先生や親からアドバイスを受けて、このまま高校に上がって、自分が表現できるものを作るにはどうしたらいいのかを考えました。
周りの子は、例えばすごくフレンドリーだったり、習い事を突き詰めていて特化している子だったり、自分の夢がすでにあってそこに向かって頑張っている子がいる中で、私は何かしたいこともなかったし、大きな挑戦もしてなかったんです。このまま過ごしてたら将来後悔すると思いました。
他の子たちが持っている、「そこに向かって努力する」大きなゴールが自分にはない。だからこそ、ただ進み続けなければいけないというのは結構しんどいことで、壁にぶつかった時にも、乗り越えるための理由がないと「自分は今なんでここで頑張っているんだろう?」という考えが出てきてしまう。そのゴールを定めるために、中間ゴールとして「留学」を置いて、その先のゴールを見つけようという考えもあったのだと思います。

-なるほど。そういうことだったんですね。
-では、留学の話に移っていきましょうか。現地で経験したことを聞かせていただけますか?

私は高1の1月から3ヶ月間、カナダのビクトリアで過ごしました。準備している段階ではあまり怖さや不安は感じていなくて、初めて行く場所でどんな人と出会ってどんな生活を送れるんだろうというワクワクが強くて、毎日過ごしていました。
ただ、行きの機内で「ついに行くんだ」と思った途端、「あぁ、新しい未来の扉が開くんだな」という実感がわいてきて急に不安が降り注いできました。

 

-機内で突然起こったんですね。

カナダのバンクーバーに着いた後、ビクトリアまで行く便に一人で乗り換えなければならなくて、私にとって初めてのチャレンジが始まりました。ゲートの番号も書かれていない中で色々なところをグルグルまわってようやくインフォメーションを見つけたんですけど、当然日本語は通じないので、「どうしよう」と思った瞬間、「ここで負けたらこれから始まるカナダの3ヶ月間は負け続けてしまう。英語力も変わらず逃げまくるだけだ」と心を決めて話しかけました。話が通じてゲートに着いた時、それまで積み重なっていた緊張や不安から解き放たれて「私は行ける」という気持ちになれました。
ビクトリアに着いた後も問題は続きました。留学のために買ったキャリーケースの鍵が壊されていて、中に「確認のために開けました」というお手紙が入っていて保障もされないことがわかって、ここでも「これが海外だ。ここは日本ではないんだな」というのを実感しました。

-はじめから大変でしたね。
-ホストファミリーはいかがでしたか?

ホームステイを経験する上でホストファミリーはとても重要というのを聞いていたので心配はあったのですが、一目ホストファミリーの顔を見た時に見るからにいい人だったので安心しました。本当に嬉しくて緊張が解けて、ホストファミリーの家に行くまでの間、フライトの話や事前に出していたお手紙の話などをたくさんしてくれて、本当にここの家族でよかったなと思ったし、3ヶ月過ごしてみて、嫌なことが一つもなくて、本当にこのホストファミリーでよかったです。

-どのようなことが印象に残っていますか?

アイスホッケーの試合に連れていってもらったり、ビーチに連れていってもらったり、そのお宅で飼っている犬のお散歩に夜行ったり、ですね。

-夜にお散歩できるほど治安がいいんですか?

気をつけなければいけない通りはありましたけど、それ以外の場所は本当に危ないことが何もない地域でした。

-そうなんですね。
-現地での学びはいかがでしたか?

はじめの3週間は語学学校に通ったんですけど、そこは年齢層が幅広くて、自分より年上の人がかなりいました。日本人もたくさんいたからこそ安心できる場所で、何か困ったことがあったら教えてもらえる環境でした。他国の人とも授業でコミュニケーションを取れましたし、10人くらいで学ぶんですけど語学のレベルが分けられているのでついていけないということもなく、先生方も真摯に教えてくださって英語力が本当に伸びたなと思います。

-その後に現地の学校に通ったんですよね。

はい。語学学校を卒業するのもすごく悲しかったです。心のよりどころになっていましたし、安心できる場所でもありました。ただ、これから新しい挑戦ができるんだといういうワクワクも大きかったです。
オリエンテーションは学校外であったんですけどバスで40分くらいかかる場所で、まずバスは時間通りに来ないし、バスストップの名前がアプリと一致しないしで、どこで降りればいいのか分からないし、ロケーションもわからないからこのバスが合ってるのかさえもわからないんです。
一つ手前のバス停で間違えて降りてしまってオドオドしながら歩いていた時、同じ道を歩く子がいて、「あの子も同じ説明会に行くのかな」と思っていたらその子が話しかけてくれたんです。一緒に行こうよと行ってくれて、その子が最初にできた友だちになりました。それがきっかけで他の人とも関わりが持てて友だちになれたし、本当にその子には感謝していて大好きな友達です。グループの中には日本人の子もいて、その子と英語でやり取りしたり、違う国の子と「どこ出身なの」と話したりしてその日でたくさん友だちができました。

-はじめに話しかけてくれた子はどこの国の子だったのですか?

メキシコの子です。その子は6ヶ月のプログラムでカナダに来たので、まだ留学中だと思います。

-なるほど、色々なケースがあるのですね。授業はいかがでしたか?

1日に4コマしかなくて、まずはそれに驚きました。あとは共学の学校だったので、やっぱり男子がいる環境は新鮮でしたね。すごく背の高いバスケ部の子がいて、その子の話で盛り上がったり、試合を見に行ったり…。留学生をたくさん受け入れている学校だったんですけど、現地の子ともたくさん話しました。

-留学はどんなところから来ているんですか?

ドイツ、フランス、アイスランドなどのヨーロッパ系と、チリ、コロンビア、メキシコ、ブラジル…。アジアは日本が多かったですね。ベトナムの子もいました。

-皆さん英語が話せるんですよね。

ペラペラです。でも国によって発音が違って、同じ英語でもメキシコ訛りだったり中国訛りだったり、私もあったと思うんですけど国によって違うんだなと感じました。
でも、通じないから嫌だというのではなくて、発音を教えあったりもして英語力を高めあう関係でした。

-いい関係ですね。
-留学で得たものは何ですか?

「おじけづかない力」と「友達」です。

私はそれまで毎日英語を頑張って話そうとしてこなかったし英語力も高くないので、ネイティブと話してもあまり伝わらないことが多かったけど、伝わらないからダメだ、もういいやと考えずに、これが伝わらないなら他の言葉で補ってみようという考えで取り組みました。
そういう拙い私とずっとコミュニケーションを取ってくれた友達は本当に大切な存在だと思うし、そういう子たちがいて色々な場所に一緒に行ったからこそ色々な思い出ができたし、チャレンジできたんだと思います。本当に友達に恵まれてよかったと思います。

-どんなところに行ったのが思い出ですか?

フードコートに行ったり、映画館に行ったのが思い出です。字幕もない中で映画を見て、「当たり前だけど英語だ。でも私理解できてる。いけるかも」という自信がついたのもその時でした。あとはカナダだからできることとして、アイスホッケーをしている友だちにスケートを教えてもらったのも思い出に残っています。

-それだけの関係になると、お別れの時は辛かったのではないですか?

私が仲良くなった子は、住んでいるところが日本でない人がほとんどで、ドイツ、チリ、コロンビア、メキシコ…。本当にバラバラだからもう一生会えないかもしれないというのもあって、本当に悲しくてみんなで泣きました。空港まで友だちが来てくれて、空港でずっと話して最後にハグしてお別れしました。
こういう機会がなければ出会うはずのなかった子たちと出会えた環境に改めて感謝していますし、今でも連絡を取り合っています。

-送り出してくださったご家族にも感謝ですね。
-ホストファミリーとのお別れはいかがでしたか?

最後の夜はベランダで焼きマシュマロを食べて、朝はホストマザーが毎日作ってくれていたサンドイッチとクッキーを持たせてくれて、ホストファザーが途中まで送ってくれて、連絡取り合おうねと言ってお別れしました。家族への感謝の気持ちも伝えられたし、悔いなく終われて良かったです。

-あえて特別な感じを出さず、普通に送り出してくれたのでしょう。素敵な家族でしたね。
-留学から戻って、中間地点のゴールが達成されたわけですが、この後に設定されているゴールはどんなことなんですか?

明確にこれというのが決まったわけではないし、これから変わるかもしれないけど、大きな枠組みとして目標としているのは「海外で暮らす」ということです。自分が今いる場所にいつづけるのではなくて、新しい環境下に身を置いてチャレンジし続けられる生活を送れたら良いと思います。

-新たなゴールができたわけですね。

目標が定まった分、テストへの向き合い方も変わったし、日々の生活も後悔しないために今できることを考えて行動するようになったかなと思います。中学の時には勉強にも気持ちが乗らなかったですが、実際に勉強しはじめてみると、大変ではあるけど頑張ったことが結果として自分に見える形で返ってくるのは悪くないなと感じています。

-ワクワクする未来が待っていることでしょう。楽しみですね。
-では最後に、後輩と受験生に向けてメッセージをお願いします。

まずは後輩に向けて。
私は大層なことをしてきた人間ではないので、大きな口を叩けません。
今まで勉強してこなかった立場から言うと、勉強してこなかったからチャレンジするのを諦めるのではなくて、勉強してこなかったからこそ、高校生に上がるというタイミングで新しい自分になるための準備を中学からしておくことが大切だと思います。
そうすれば私のように留学に行けることもあるかもしれないし、明確なゴールが見つからなくて悩んでいる人も、今はなくて良いから何か自分が少しでも興味を持てることに一歩でも進んでいけたら良いと思います。今いるところに満足しないで、新しく挑戦することが大切かなと思います。
次に受験生に。
和洋には困っている時、悩んでいる時に親身に寄り添ってくれる人がいます。小学校時代になじめなかった人も、友だち同士の仲がいいからこそ、安心して毎日学校に行けると思います。中学受験という新しい自分に出会えるチャンスだからこそ、後悔なくよい選択ができるようにしてほしいです。

-多くの困難を経て今に至ったのでしょうが、勇気ある一歩を踏み出して新しいチャレンジを行ったからこそ、この成長に繋がっているのですよね。満足しないで新しいものにというのも素晴らしいです。今後も次のゴール目指して頑張ってください。ありがとうございました!

【X先生からSさんについてのコメント】
自己肯定感が高く、好意的かつ敬意を持って他者と関わることのできるポジティブな生徒で、リーダーシップもあるためクラスメイトからの信頼が厚いです。クラスを明るい方へ引っ張ってくれる、信頼できる生徒の一人です。
大変緊張するような場面でも、臆することなく自分のすべきことに全力で取り組むことができます。将来の目標に向け、あらゆることに前向きに取り組んでいます。

Vol.73 高1 Kさん
Vol.71 高3 Rさん