-生徒の皆さんへのインタビューを通して、和洋生の成長ストーリーをお伝えするStories。今回は17回目、今回から4周目に入ります。高3のMさんにお話をうかがっていきましょう。
-よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
-早速ですが、Mさんは小学校時代、どのような子でしたか?
性格的には今とあまり変わっていないかな、と思います。何でもやりたがりで、今よりも負けず嫌いで、習い事も体育でも勉強でも、男子と一緒に競い合っていました。
-負けず嫌いのところはどのように生まれているんでしょう?
私には一つ下の妹がいるので、それで色々なことに負けたくない、というのが小さい頃からあったように感じます。妹にとって手本でありたいという思いもありましたし…。
-なるほど。「よいお姉さんであろう」ということも影響しているのでしょうか。
-習い事はどんなことをしていたんですか?
色々やっていました。水泳や空手、クラッシックバレエ、ミニバスケット、あと公文に入っていました。
-今までにも何度か出てきたものが多いですね。空手とかミニバスケットは初めてだと思います。これはどのような経緯で始めたんですか?
空手は家の近くで師範が教室を開いていたというのがきっかけです。ミニバスは友だちに誘われて小5の終わり頃から通い始めました。公立中学に行ったらバスケ部に一緒に入ろうと誘われていて、受験間際まで週に2回通っていました。
-そうなんですね。そのような中でなぜ和洋九段を受験することになったんですか?
私はいとこが何人かいて私立受験をしていたので、私立中学に対して漠然とした憧れがありました。でもはじめから明確に「ここに行きたい」という学校があったわけではなくて、たくさん学校が載っている本を見ている時、和洋九段が目にとまりました。写真に載っていた人が楽しそうな表情だったのが好印象だったのかなと思います。私学で教員をしていた祖父が、「和洋九段は良い学校だよ」と言っていたことも影響しています。
-実際に学校を訪問してくださったんですか?
はい。私は2科で受けたので国語と算数の入試対策勉強会は全て参加していました。その時にもらった青いバインダーは今でも使っています(笑)。
その時に担当してくださった先生が丁寧に教えてくださったので、実際に入学したらこんな先生から教えてもらうのかな、と思って、今考えるとその時が「この学校を本気で受験したい!」とちゃんと思えた瞬間だったかなと思います。
実際、そこで教えてもらった先生は中学の時に学年の先生に入っていて、お世話になりました。初めて会った時に「あの時とてもわかりやすかったです」と伝えました。
-すてきな再会があったんですか。先生方も喜んでくださったでしょうね。
-受験の頃の思い出はありますか?
中学受験用塾に通っていなかったので、算数の一行問題などが苦手で、中学受験を経験していた母に解説をしてもらっていました。和洋九段に合格できなかったら公立中学に行くつもりだったので、合格できて良かったです。
あと、私の通っていた小学校は中学受験をする人が少なくて、私以外に1人しかいませんでした。合格するまで友だちにも中学受験のことを言っていなかったので、そのことがクラスに伝わった時は大騒ぎになりました。
-地域によってずいぶん違いがあるんですね。
-では、中学に入学した後のことを聞いていきましょう。何が一番思い出に残っていますか?
中学のことを思い返してみると、色々あったけどあっという間だったな、と思います。特に中3の最後、卒業式で記念品贈呈の役目を務められたのは、3年間頑張ってきた成果として嬉しかったです。
-学習に対して前向きになれたのは何か理由があったんですか?
高校からオーストラリアに行ってしまった友人が同じ陸上部で、その子の影響が大きかったと思います。2人で競い合っていて、モチベーションアップにも繋がりましたし、本当に切磋琢磨していたな、と思います。
-他に何か思い出はありますか?
中3の時にオーストラリアの姉妹校の子たちが和洋に来て一緒に授業を受けたりしたんですけど、その時に友だちになった子から大きな刺激を受けたことです。
その子がオーストラリアに帰国した後もやり取りをしていたんですけど、環境活動に取り組んでいたり、それをしっかり発信していたりしていて、憧れていました。自分たちと同じ年の子がアクションを起こしていてすごいな、と思いながらも、その時は「オーストラリアの子だからそういうことができるんだろうな」と思っていました。
-育った国や文化の違う子と関わることで、自分とのギャップを感じた、というところでしょうか。どのように変化していったのか聞くのが楽しみです。
-高校に入ってからはどのようなことがあったのでしょうか。
はい。高1の夏に語学研修でオーストラリアの姉妹校に行ったことが思い出に残っています。英語力を鍛えると共に「自分で考えて行動する」ということに徹した2週間でした。スクールバディは2学年下でしたけど知っていること、発信力や行動力など自分たちより上の学年のように感じました。このことも、自分自身が後に行動を起こすためのきっかけになっていると思います。
-なるほど。今までの当たり前が変わるきっかけになったのでしょうね。
-他にはありますか?
高1の5月に長野の飯綱・芋井を訪れたことも印象深かったです。自分たちが寝るための小屋があったんですけど、そこにいるのは寝る時だけ。それ以外はずっと外にいました。火を使うなら落ち葉を拾いに行きますし、自分たちで何かをしないと何もできない生活というのが新鮮でした。
その地域は過疎化が進んでいる地域なんですけど、都会での生活にストレスを感じていた人たちが自然の中で自由に暮らして力を蓄えていく、自然の中での生活という新しい形を見た気がしました。
-私も引率しましたけど、ご家庭ごとに本当に多様な体験をさせていただいていましたよね。うらやましかったです。
-その経験から色々なことに繋がっていきましたよね。
はい。学校に戻った後、その地域で取れた食材を使ったレシピを作ることになりました。私たちの学年はじゃがいもを使ったレシピを考えたんですけど、他のみんなは多分食べ物を考えるだろうなと思ったので、私は違う切り口で臨もうと考えました。
実際にできなくても、なかなか思いつかないアイデアを求められているんじゃないかな、と思って、私はじゃがいものデンプンを使ってコップを作るという提案をしました。
-あれはかなり独創的でしたね。文化祭で投票をしてもらった際にも3位になっていましたね。
この時に考えた内容はコロナ禍に行ったアクションに関係しています。
-コロナ禍のアクションについて教えてもらえますか?
はじめはオンラインでもできるボランティアをやろう!という学年の呼びかけからネットで色々と調べている中で、「OHCAMP」という高校生100人で繋がろうというディスカッションイベントを見つけて、学校のオンライン授業でも使っているZoomで行われるので申し込みました。
実際に参加してみると、東大に毎年○名合格しています、というような学校の生徒や、アップルで○○賞を取りました、という人、起業しています、という人など、びっくりするような経歴の人がたくさん参加していました。
中3の時、外国の人だからこういうことができるんだよね、と思っていたような人が日本にもたくさんいる、ということに気づけたのがこのイベントに参加してよかったと思えることです。
-なるほど。衝撃は大きかったでしょうが、アクションを起こしている同世代の方の存在を知れたのは大きかったですね。
-具体的にはどのようなことを話したんですか?
「恋と愛はどう違うか」とか「嘘はいけないことか」とか、様々な社会問題とか…。あとは、過去から今までの自分をグラフ化してみて、自分自身の心情にどういう変化があったかを客観視したり…、色々やりました。
後悔しない人はいないけれど、その時ごとにどういう選択をしているのか、ということを見つめることで、前に進む力になっていることに気づけました。
-哲学的な問いを通して自分自身を見つめ直したんですね。
-その後はどのような動きをしたんですか?
その後、自分自身で一番興味のあった「海洋プラ問題を解決するのは君だ!~高校生×研究×社会問題解決プログラム~」というイベントに参加しました。これに参加するには選考があって、その際に飯綱・芋井の時に考えた提案を練り直して応募しました。
-具体的にはどういう修正を行ったんですか?
じゃがいもだと現実味がないな、と考えてデンプンが取れる別の食材を使ったり、廃校になった学校に施設を作って加工できるようにしたり、と実行に向けたプランを練りました。
-外と繋がりを持つことで何か感じたことはありますか?
自分たちがやってきたPBLの型が色々なところで役に立つんだな、ということに気づきました。例えば、5分間で自分の意見をまとめるというのも個人ブレストで慣れていましたし、意見を活性化させるために自分の考えと他人の考えをどういうふうに融合させると良いか、とか、自分では考えつかないような意見にどうやって自分の意見を組み合わせていくか考えるのはとっさにできることではないと思っていたんですけど、普段やっていることがこういうふうに繋がっていくんだな、と実感しました。
-外に出てみないと気づけないことがありますよね。
-そこではどのようなことを話しあったんですか?
10名のチームで一つの提案を行いました。エコを実現するためにリサイクルをすることが必要だね、ということになったんですけどその際ネックになってくるのが衛生面で、それを克服するため、私たちのチームでは文房具のリユースを提案しました。また、このシステムを構築していく中で企業と消費者がコミュニティを作り、協力関係を結ぶことで実現が可能になるという提案を行いました。
-同世代の人とチームを組んで色々考えたんですね。
はい。半年の活動は全てオンラインを通してだったんですけど、夜中まで海洋プラのこととかデポジットのこととかを真剣に話し合って、文理関係なく語り合えたのはとても有益だったと思います。アドバイスをくださったメンターさんも文系理系問わず色々な方がいらっしゃいました。
-その活動の中で気づきはありましたか?
やっぱり自分より知識もあって頭もいい人ばかりだったので、はじめのうちは「自分が言っても…」と引いてしまっていたところがあったと思うんですけど、話し合いを進めていくうちに、全員が同じ気づきを得るわけではないので、「違う視点を持てる」ことが大切なんだな、と気づきました。
実際に自分の言ったことがその先のアイデアに繋がっていくという体験が何度かあるうちに、自分でもできるんじゃないか、と思いながら取り組んだ方が良いな、と思えるようになりました。
-具体的にそう感じる瞬間があったということですか?
そうですね。話し合いに色々な業界のメンターさんが参加してくださって、何か意見があった時に発言してくださるという機会があったんですけど、私の発言に対して前向きに捉えてくださったことがあって、同世代だけでなくて社会で活躍されている方にそう感じてもらえたのが自信になったと思います。「できない」と決めつけないで、発言を通してチームの意見をよりよいものにできるという考えに変わりました。
-とてもよい気づきを得られましたね。
私たちはその時の発表で終わってしまったんですけど、他のグループでは更に大きなステージに活動の場を移して、環境問題に関する国際会議で発表したり、企業さんと実際に連携したり、というところもあって、更にすごいなと思っています。
-アクションをどんどん加速させている方もいるんですか。すばらしいことですね。
-将来的にこんなことをしていきたいな、ということはありますか?
今話題になっているDXに興味があって、大学では社会情報について学びたいと考えています。デジタル化が進んだのはここ数十年のことで、これからも大きく変化していくと思います。文系理系という枠組みにとらわれずにかけ合わせを考えていくことが大切だな、と思っています。
-6年間を振り返って、何か感じることはありますか?
中1から行ってきたPBLがポイントだったな、と感じています。中1の5月に行った旅行ではすでに「相手の立場になって考えるには」「良いクラスにするには」という内容のPBLを行っていました。自分と違うことを否定するのではなくてまずは受け入れる寛容性や、自分の中に取りこんでいく修正力など、本当に色々なものが身についたなと思います。
-PBLがMさんにとって大きな成長のトリガーになったんですね。ありがとうございます。
-では、最後に、後輩と受験生に向けてメッセージをお願いします。
まずは後輩に向けて。後悔しない選択をし続けるということはないです。でも、選択を間違えたなと思った時に、過ごし方を変えていくことによって良い方向にしていくことはできます。過去を振り返ってこうすれば良かったと後悔するのではなく、どうするとよりよくなるかな、と考えていくと良いと思います。
受験生に向けては、私自身の体験から思っていることなんですけど、勉強をしなきゃいけない!という義務感で勉強だけしていればよいわけではないと思います。色々なことに挑戦することで見えてくるものがありますし、一生懸命やったことに結果がついてくれば豊かな人生になるので、頑張ってください。
-挑戦し続けたMさんだからこそのメッセージですね。ありがとうございました!
【X先生からのMさんについてのコメント】
Mさんは、新しいことを創出するエネルギーに満ちた存在です。学内の活動だけでなく、校外のシンポジウムや研究会などにも主体的に参加し、エネルギッシュに行動する中で、協働性や表現力が養われたように感じられます。
中学時代から向上心があり努力家で、部活動でもアドバイスに熱心に耳を傾け、それを忠実に実践でき、さらに自分なりの工夫を加えることで、自ら持つ能力に磨きをかけるための努力をしていました。
今後、Mさんのような新しいリーダーが活躍してくれることを願っています。
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